落語の魅力
私は古典落語を毎日寝る前にユーチューブで子守歌代わりに聴いています。同じネタ(演目)を何度も聴いても全く飽きることなく毎回面白く、その魅力にひかれてしまいます。>落語の魅力とは何でしょうか?
「古典落語○○」といえば、落語ファンならどんな筋書きなのか、どんなオチなのかわかります。古典落語の演目はどの落語家が演じても噺の筋書き、オチもだいたい同じです。
それなのに何時聞いても飽きないし面白いのです。いったいそれは何故なのでしょうか?
落語の魅力 落語はジャズに似ている?
落語とジャズは共通点が多いです。どちらも基礎であるテーマはしっかりしていて、その基礎の上で演者が自由に物語を展開していくには共通しています。
ジャズの場合は曲のはじまりと終わりにテーマと呼ばれるメロディーを奏で、その中間に局のテーマに基づいたコード進行に沿って即興で自由に演者がソロを取ります。
落語の場合も噺の筋という基本がしっかりあって、そのうえで演者が自由にアレンジができるという点でジャズに似ています。
同じ演目でも演者によってその噺のテーマの解釈が違います。それを感じ取るのも落語を聴く側の楽しみです。
落語の魅力 登場人物が面白い
- 与太郎
- 若旦那
- ご隠居
- 熊さん(熊五郎)・八っさん(八五郎)
- 花魁
古典落語の主な登場人物
そそっかしくて失敗を繰り返しながらもなぜか周りの人から可愛がられている
金持ちの道楽息子 親の金で遊んでばかりいて働かない。親から勘当されることが多い
仕事を引退した物知り老人。人生経験豊かだが知ったかぶり
喧嘩っ早い江戸っ子。 植木屋とか大工とか、落語の中では腕の良い職人として登場することが多い
吉原遊郭の遊女
落語は「業の肯定」である
落語にはどうしもない人がいっぱい出てきます。
そそっかしくてどうしもない奴、まぬけな泥棒、親の金で遊んで働かない道楽者の若旦那、見栄っ張り、酒好きでどうしもない酔っ払い、お調子者、賭け事で楽して儲けようと思って失敗する奴・・・
居候で世話になってる船宿で、腕も経験もないのに船頭になって乗船した客を怖い目に合わせる世間知らずの若旦那がいたり(船徳)、茶道の知識もないのに茶会を開いてデタラメの茶をふるまい客人たちの腹を壊しえらい目に合わせる知ったかぶりのご隠居(茶の湯)、行き倒れの死体を見て「これは俺だ」と言い張って自分で運ぼうとするそそっかしくてどうしもない奴(粗忽長屋)・・・
そんなどうしようもない人間たちが繰り広げるばかばかしいやりとりや失敗談を我々落語を聴く側は「そんな奴いるー」「こいつらバカだなー どうしようもねえな」という感じで笑うのです。
落語を聴いていてすばらしいと思うのは、そんなどうしようもない連中が誰一人として「俺ってなにやってもダメなんだあ」などと悲観していません。あっけらかんとしています。実に堂々と生き生きと活躍します。
「業」とは人間の欲望、愚かさの事です。
楽して儲けようとしてギャンブルにはまる、酒やたばこがどうしてもやめられない・・・。やりすぎてはいけないとわかっていてもやめられないというのは人間の本音=「業」=「愚かさ」です。
現代社会ではこうした人間の本音を出来るだけ抑えて社会の規則に従いながら生活することを強要されますが、」落語の世界ではそんな事はありません。むしろ「肯定的」に描かれているのです。
落語を聴いているとこんなメッセージが聞こえてくるような気がします。
「失敗したっていいじゃねえか
人間なんだから」
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